今年3月、茨城県内でヒ素に汚染された地下水を飲んだ住民に、深刻な健康被害が出ました。原因は、旧日本軍の毒ガスでした。
そして、静岡県も、無関係ではありません。幸い被害は出ていませんが、戦後、たびたび毒ガスが見つかり騒ぎになっていました。 |
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実は、浜松に毒ガスの部隊があったのです。戦時中は極秘とされていたため、それが戦後不幸な事故を起こしてしまったのです。
昭和22年、奥浜名湖の静かな湖畔に、ドラム缶が浮き上がっているのをある兄弟が発見しました。それを見つけ、フタを開けてしまった兄弟は、吹き上げる黄色い液体を浴びてしまったのです。
兄弟は全身火ぶくれとなり、「水をくれ」また、「体中が痛い痛い」と言い続けて亡くなったと、遺族や、当時治療にあたった医師の身内は語ります。 |
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その液体の正体は「イペリット」というものでした。
イリペットは、第1次大戦中のドイツで、大量殺人兵器として開発されました。皮膚がただれる「びらん性」の猛毒ガスです。 |
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そして、この毒ガス自体も浜名湖の周辺の地域にあったということがわかってきました。
まず、その毒ガスが入っていたと思われるドラム缶は、浜名湖岸から、船で運ばれ、捨てられたという話がありました。
さらに、昭和47年に政府によって作成された、調査報告書によると、国が毒ガスの保有場所に、三方原の陸軍技術研究所と教導飛行団の2ヶ所を指定していました。そこには、猛毒ガスのイペリットなど合わせて18tあまりが保有されていました。 |
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昭和51年には、浜松市内で、ガス管の埋設作業をしていた作業員が、旧日本軍の埋めたイペリットと見られる猛毒ガス缶を発見。住民200人が避難する大騒ぎとなりました。
ドラム缶は、遠州灘に投棄して処理され、事件は数日後、収拾に至りました。 |
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毒ガス騒動があった敷地の隣には、毒ガス戦の訓練部隊だった「三方原教導飛行団」がありました。 |
「三方原教導飛行団」は、昭和19年4月に創設されました。毒ガスの「用法」、扱い方を訓練する、極秘部隊でした。
その毒ガスは終戦を迎えた時、一体どうなったのでしょうか。 |
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部隊の指揮官の1人は、手記の中で、「部隊所有のイペリット16トン、ルイサイト2トンは…」とあります。この後に続くはずの処理の真実について、肝心の部分だけが空白になっていました。
1950年、政府の手で浜名湖は全域に渡り掃海され、毒ガスの撤去は完了したことになっています。しかし、毒ガス騒ぎは、その後も後を絶ちません。真相が解明されない以上、終わりが訪れることはないのです。 |