富士市から沼津市にかけての国道1号線の一帯には、大型の家電量販店が相次いで出店をし、家電業界の激戦地となっています。
おととしの秋には、大手として沼津市内にいち早く店を置いたコジマが、1ヶ月半前には、富士市の一等地に出店したヤマダ電機が、そして、両大手に挟まれるような位置に、100満ボルト富士本店がオープンしました。オープンしたのは、ヤマダ電機の開店1週間前でした。 |
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元は地元の電気店だったこの店は、100満ボルトグループに参加し、地域最大級の規模となって生まれ変わりました。
地域ナンバーワンを目指し、店を引っ張っているのは、この道40年の石川征雄社長です。
地元一筋40年。築いた実績・信頼、全てを挙げて生き残りを図ります。 |
100満ボルト富士本店。
5000平方メートルを超す売り場には、2万5000点の商品が並びます。この豊富な品数に加え、知識豊かな販売スタッフが店の自慢です。
店内の商品にある値札を見ると、そこには値段を何度も書き換えた跡が目立ちます。他店のチラシや店頭価格に常に注意をはらい、他店よりも高かったら、値段を変えるのです。
社長は、
「店がきれいで、大きくても高ければ、店は一生浮かばれることはない。常に油断大敵」
と語ります。 |
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大手に決してつぶされないぞ、と意気込む石川社長。最近毎日のように通っているところがあるといいます。その場所につくと、石川社長は胸と背中に大きな看板を身につけました。さらに、一輪車を押して向かった先は…。
何とライバル店の真ん前でした。ライバル店のオープン翌日から、ホウキで掃除したり花に水をやったりするのを日課としました。 |
石川社長の商売は昭和39年、22歳の時にわずか2坪の個人商店からスタートしました。最初は電話も置けないような状態だった店が、たった4年後に法人化し、三石電化センターとなりました。
創業以来、ずっと堅実で、1度も赤字を出さなかったことが自慢です。店はみるみる大きくなり、県内5店に増えました。 |
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順調な経営の傍らで、石川社長がずっと続けていることがあります。店の前や街角を花で飾る美化活動です。
社長は、毎年植えるチューリップに売上アップの願いを込めています。これまで、2000個を植えた時に、20億円、5000個の時には50億円の売上がありました。
今年は富士の店をオープンさせたこともあり、1万個で100億円を目指したいと語ります。 |
自分の商売の目に地震を持つ石川社長。実は10年前、突然他社の傘下に入る道を選んで、そこでも周囲を驚かせています。その理由には、業界再編の動きが盛んで、生き残りを図るのが大変というのがあります。
価格競争の激化を予測し、10年前にはケーズデンキ、4年前には100満ボルトの傘下に入りました。生き残りを図るには当時、これが最善の策だったそうです。
お客さんの喜びが「良いものを安く」であるならば、自店のままでは競争に勝てない、と社長は語ります。グループの元で、商品を安く仕入れることが必要だったのです。 |
社長は毎朝一番に出社し、店の前を掃除する。地域に愛されるため、石川社長は創業以来習慣としています。これが商売の基本と信じ、その精神を従業員に伝えます。
営業中は、毎日店内の様子に目を配ります。やるべきことがなわれているか、従業員に商売の厳しさを叩き込みます。 |
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客をじっと待つばかりが商売ではありません。店を飛び出し、訪問販売に出かけます。スイッチの調整や、照明の取り付けなどの、手際の良さを見せながらも、部下に新製品の紹介をぬかりなくさせます。
石川社長が40年で築いてきたものは大きいです。エアコンの修理をしに来たのだが、いつの間にやら買い換えの商談が成立してしまうことも。
何とも押しが強い気がするが、客は嫌な顔一つ見せていません。 |
地域ナンバーワンを目指す社長の奮闘は、御殿場の大型店舗のオープンへと続きます。
拡大していく中でも社長は、あいさつと掃除の基本を忘れずにやっていきます。 |
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