
| 野路毅彦の気になった特集週1便 | ||||
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【2002年11月第3週】 今週は11月19日(火)に、ハンセン病を乗り越えた俳人、村越化石さんが故郷岡部町に 里帰りをしたという特集をお送りしました。
闘病生活をおくる作者の文学というのは、病や死に対する、あきらめや達観のようなものが評価されがちですが、化石さんの句は、そうではありません。「生」という方向へ向かう、希望のある強い句です。 それは、戦後、新薬が開発され、「ハンセン病即ち死の病」という状況からは脱するという医療の進歩の背景の中で、化石さんが生きたからだ、ということは言えるとは思います。 化石さんも、そういう意味で「最後の(世代の)ハンセン病文学者」であると自認しています。 しかし、「即ち死」という恐怖からは逃れたものの、化石さんに深刻な後遺症は残っています。 指は欠け、手の動きはままならず、唇は変形し、思うようには発音できません。 そして、昭和40年代後半には、全盲となりました。 そして、その後遺症以上に辛かっただろうことは、母が死んでも、家に戻れず、故郷に帰れなかったハンセン病独自の隔離・差別状況です。
母の死を知って詠んだ句です。 望郷の目覚む八十八夜かな この句は、このほど玉露の里に完成した句碑に刻まれています。 実は、ハンセン病に対する理解・認識が劇的に変化した昨年になって初めて、岡部町も化石さんの存在を知るところとなりました。 今回、句碑の除幕式を機会に60年以上ぶりに化石さんは生家に戻ることができました。 化石さんは、家の間取りを鮮明に憶えていたようで、視覚を奪われているにもかかわらず、仏間へ直行し、お母さんに、草津土産を供えたのでした。 2002.11.26 更新
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