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3月22日 合併しない理由(わけ)(4) 「旧可美村」
 
静岡・清水が合併してから1年が経とうとしている。 その前の県内の合併と言えば、13年前の可美村と浜松市の合併である。
当時可美村長だった大場賢治氏とお会いするのは、それ以来である。 76歳になる大場氏は、当時と変わらない様子で、旧可美村役場前で私達を出迎えてくれた。 役場前の早咲きの桜は、当時と同じように咲いていた。

可美村は、スズキなどの企業が法人税で支えてきた裕福な村として知られてきた。
1万3千人の村民は、ほぼ顔見知り。
運動会や敬老会は、村の経費で盛大に運営された。 都会では想像できない、ゆったりとした暮らしだった。
しかし、村単位の財政では、広域道路などの都市基盤の整備は、難しい。
幹線道路は、可美村に入る直前でピタッと止まる。
村内にゴミ処理施設がなく、ゴミは関東方面に運ばれた。 浜松市の中に包み込まれた村は、限界に達していた。
「合併してよかったですか」と大場氏に問う。

「時代の流れが変化するなかで、合併しかなかった。正しかったと思う」と答えた。 13年前に合併を見送ったとしても、今回の「平成の大合併」には参加しただろう。 合併する条件として、浜松市からは、村の予算の4倍近い建設予算が投入され、村は整備された。 都市化した。

しかし、「きめ細やかさは失われたのでは」と聞く。
大場氏は、直接は、答えなかった。
「良いことも、悪いことも住民に情報を提供することが必要です。 住民が納得した上で合併することが大切です」と代わりに話す。
可美村は、昭和14年にも合併に傾いた。
しかし、村を2分する対立が生まれ、実現しなかった。 対立は遺恨を残し、村の苦い教訓となった。
合併は進むが、その理念を感じないという住民が多いという。

「合併は良いことばかりではない。しかし、それを上回るメリットがある」。
合併を進める首長や議会は、住民に対し、具体的、かつ明確に説明してもらいたい。


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