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6月21日 川と共に生きる(3) 「大井川 明治時代の地名用水」
 
榛原郡中川根町地名に、130年前につくられた用水が今も流れています。
当時の地名は、300人あまりの小さな村でした。
コメが中心の経済で、その土地の貧富は、コメの生産高に比例していました。
飢え死にする者も出た地名村にとって、コメは願望久しい作物でした。

村人は一大決心しました。
財産をかけ、村の存続をかけ、田圃を造るため鍬をつるはしに持ち替え用水工事に挑みました。
工事は蛇行する大井川の高低差を利用しました。
村の北と南では26メートル高低差がありました。
北側の山に導水トンネルが掘られ、水路が村全体を流れるように4本が掘られ総延長が4キロにもなりました。

明治11年3月。
水門を開くと大井川の水は村中に流れ、4本の水路を満たしていきました。
草地や荒れ地を開墾して、20ヘクタールの田圃を完成させました。
そして、明治12年に750俵、翌年には900俵のコメを収穫。
以降、コメづくりが今も続いているのです。 
用水は、昔はトンネルから、今は上流のダムから水を引いています。
ある水路は、住宅の脇を通り生活排水を受け、また別の水路は、2キロ先の田圃まで一気にながれます。
地名の用水は、灌漑用のみでなく、動力としての水車が脱穀に用いられるなど、
地名にとって用水は、暮らし向きを変える革命的なものとなりました。
先人達からの贈り物は、田圃だけではなく、ここに暮らす人たちの心も満たし続けています。


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